この度の再建に当たっては、回向院別院源光寺という寺号から「光」にその主眼を置きました。この「光」は、まさしく阿弥陀さまの光に他なりません。
大仏師村上清師のお力を借りて本堂の中心となる阿弥陀さまのお姿を決めた後、阿弥陀さまから発せられる「光」をいかに感じられるかを主眼に検討しました。
浄土宗では『浄土三部経』という経典をその拠り所としますが、その一つに『観無量寿経』という経典があります。『観無量寿経には「阿弥陀さまはその「光」によって念仏を称えた我々を、お救い下さる」とあります。
温かな優しい「光」。良き方向へと導いて下さる「光」。仏様の功徳の中でも最も勝れた功徳とされる「光」。この「光」を、より感じるためにも、この『観無量寿経』をヒントに本堂再建案を考えていくことにしました。
(本多将敬)
光のモザイクを写しだす建物正面壁
「光」を主題とするという方針が定まった後、すぐに建物の設計検討に取り掛かり、「光の柱に蓋われる本堂」、「吹抜け上部から光が挿すロビー」、「光のモザイクを写しだす建物正面壁」の3枚のスケッチを描きました。
(河原 泰)
河原が最初の打ち合わせの後に書いたスケッチ(光のモザイクが描かれている)
日本に経典が伝来する前、『観無量寿経』は中央アジアで行われていた阿弥陀さまの観法と深い関係にあったと云われます。
中央アジアのクチャでは、洞窟一面にラピスラズリをすり潰した顔料をふんだんに使った仏画が描かれ、信仰の対象とされていたと云われます。寺院の中心で、信仰の対象となるご本尊の背後には、この顔料(瑠璃)を用いて石踊達哉師に仏後壁を描いて頂きました。仏後壁に描かれた青海波には、あたかも阿弥陀さまから発せられた光の仮仏の如く、そこかしこに金粉がちりばめられています。
金粉の延長上、本堂天井には無数のLEDの光が輝いています。これは、堂内にいる我々を温かく包んでくださる「光」を、より体感できるようにと、建築家の河原泰先生とライティングデザイナーの小野田行雄先生が考えられたものです。
寄進者の御名を記した108本の煩悩柱が炊き上げられて108個の天空の光となり極楽浄土に向かう。
本堂内の周囲には、108本の煩悩柱が建てられており、柱の下からは炎をイメージした光が発せられています。
これは阿弥陀さまの慈悲の「光」に照らされることで、煩悩が清められ、われわれ自身のあるがままの姿が照らしだされることを表わしています。常に煩悩に囚われてしまう我々ですが、阿弥陀さまのことを心に想うと、阿弥陀さまは自ら我々の心の中に入ってきてくださいます。
(本多将敬)
本堂内部のプロポーションは、仏さまの大きさとの比例配分により、幅9m、高さ4.6m奥行18mとしています。
型枠にムクの杉板を用いたコンクリート壁と格天井が、仏さまをお守りします。
(河原 泰)
村上清師作の阿弥陀三尊像と石踊達哉師作の仏後壁の青海波
ホールには善導大師が著した観無量寿経の注釈書『観無量寿経疏』に説かれる二河白道を描いた絵画が掛けられています。
信を得て浄土に往生する行者のすがたが喩えられており、既製の二河白道を見ていない日本画家石踊達哉師が、経典の書き下ろしと簡単な解釈を基にイメージを膨らませて完成させたもので、今までにない全く新しい二河白道となりました。
(本多将敬)
客殿のロビーに掛かる日本画家 石踊達哉氏による二河白道
ロビーには天空光が降り注ぎ、本堂の杉板型枠コンクリート壁をやさしく照らし出します。この場所は、光を柔らかく受け止めるように気をくばりました。ロビーの柱や壁は、ピシャン叩きの上に、ノミで丁寧に横波をつけています。上階の木造部分は珪藻土の横目櫛引で仕上げています。これらすべての材料の横波が、上からの光により微妙に陰りをつくりだし、硬いコンクリートも柔らかい表情に変化します。
(河原 泰)
上からの光を柔らかく受け止め表情を作り出すロビー
法然上人は「月のかげのいたらぬさとはなけれども ながむる人の心にぞすむ」と詠まれていますが、いつでもどこでも照らしてくださる阿弥陀さまの「光」の存在に感謝して、お念仏をお称えして参りたいと思います。
(本多将敬)