都心に近接し、ビルの高層化が進みつつある両国において、お寺の境内は、貴重なオアシスともいえるでしょう。
しかし、境内地も戦前と比べれば小さくなり、一般に公開する庭園と呼べるようなスペースもなく、都会のオアシスとして機能するためにも緑豊かな庭園スペースが必要であると考えていました。
また念仏堂としての設えとしても、念仏を唱える心構えとして法然上人が「一枚起請文」において三心をあげられたように、念仏を唱える環境として、俗世を引きずることなく、すんなり無心無我となれる心を落ち着かせる環境が必要であると思い、建築家の河原泰先生に相談したところ、参道の竹と連続するような竹林庭園を設けることをご提案いただきました。しかも、地面と接するところは、境内地としての広がりが必要なので、上空に浮遊する空中の竹林庭園にするという提案であったため、庭園が地面と切り離されていることによって、より俗世とは切り離された心落ち着く場となるのではないかと考えました。
回向院 念仏堂 外観
建物の2・3階には、この竹林の中を通り抜けるように回廊が巡っています。
この回廊は念仏回廊と称し、歩きながらでも念仏を唱えられる場所です。河原先生の案は、スワロフスキーの念珠が竹とともに林立する空中庭園です。数珠と同様に1本につき108珠あり、50本以上あるため、この回廊の念珠の数だけ念仏を唱えながら2階から3階にかけてぐるっと巡れば、1万遍の念仏を唱えられることとなります。1本ごとに親玉が1つあり、その中には回向院にいらっしゃる様々な尊像が描かれています。
竹林の回廊とスワロフスキーの念珠による空中庭園
「宝樹観」によると、宝樹は完全無欠な清浄を保っており、阿弥陀仏が国土厳飾の本願を成就した時に同時に存在したものとされ、育ったり枯れたりするものではなく、樹の一部一部の観想から天童子や光明まで逐次観じて明瞭ならしめるとされています。
極楽浄土にある七宝からなる樹のことを、七重宝樹と言いますが、スワロフスキーの念珠が外光に照らされて光る様々な色の輝きは、まさに七宝と重なるのではと思います。また、八つの功徳をもった水を湛えている宝池を想う「宝池観」では、池には煩悩を滅し尽くした姿を現す金剛石がひかれ、諸仏が説き給うあらゆる教法を説く水音や百宝色の鳥を想うとされます。二階の回廊から見られる「浄土の滝」と相まって、水音や鳥のさえずりが聞こえてきても不思議ではないように思えます。